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甲子園、明日の応援を予約しておこうかなって思います

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私の母校・長田高校が21世紀枠とかいうもので春のセンバツに出場することになりました。

 

私は、野球はからっきしですが

それでも母校の甲子園出場は熱が入ります。

 

野球部はそれなりには強かったですが、甲子園にはなかなか手が届かなかったものですから

今回、こんなに早く我が校が甲子園に出場できるとは思っておらず

突然の吉報に胸を躍らせました。

 

そんな母校の初戦が明日に控えております。

平日の昼間ということで、テレビでさえも見ることはできないのですが

本当ならば、会社を休んででも会場に行きたかったなぁと。

 

愛校心の強い方が多い学校であり、

甲子園のある兵庫県の学校でもあるわけですから、

母校は大変な盛り上がりを見せております。

 

各所で募金が募られたり、関東でもパブリックビューイングが行われたり

この波に乗れないのが惜しくて仕方ないので

私は私なりに、応援しておこうかなと思います。

 

応援を予約

本当ならば、試合展開に合わせて

勝手に応援してくれるアプリなんかが作れたら

一番良かったとは思います。

 

しかし、そんな技術力も暇もなかったので

ブログ上で先に応援でもしておこうかなと思います。

 

文章媒体は、記録が残るから怖いという人もいますが

記録が残るということは、いつでもさかのぼれるということであります。

そして、自分が目を通しているその時間、いつでもが「生」なのです

 

だから、わたしがネットの海に放った応援は

前日の23時ごろに勝手に応援しているという事実から解き放たれ

各人、目を通した時が応援した時になるのです。

 

というすり替えで応援の生化には成功しましたね。

 

次は応援の意味ですけど、生であるだけが応援じゃああるまい。

現在過去未来、全てにおいて応援は意味がありませんか。

そらやる前の応援ややっているときの応援に意味があるのは至極当然ですが、

過ぎ去った事実、応援の対象が終わってから行われる応援にも意味がありましょう。

 

「あの時、応援していてくれたのか」

という感情は、その人の思い出をさらに強くします。

競技への応援ではなく、競技を思い出にする応援ってなわけですよ。

 

 

これで、応援を事前にネットの海に向けて行うことに対する整合性は取れたわけです。

これで、心置きなく応援できますね。

 

かっとばせー、なーがーたー

ピッチャーびびってる!

へい、リーリーリーリー

ここが踏ん張りどころだよ!?


こんなもんですか?

 

明日はどうなるのか

母校は合唱が強いのですけれど、

かくいう私も音楽部で合唱をやっていました。

明日は、吹奏楽での応援だけでなく

母校らしく合唱の応援なんてものもあったりしないかなーとか期待してるんですけどね。

 

明日頑張ってください。

 

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3月21日

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