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「本音と建て前」を使い分ける日本人 そのワケとは!?

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こんにちは、若年性おっさんコラムニストのレディ夫でーす

 

 

予定立てるのへたっぴ人間というのは、

どこの世の中にもいると思うんですわ

 

 

そこそこ仲いいくらいの友人との予定の折衝

思惑飛び交ってるでしょう

 

 

「あいつと遊びたい」

「あいつ呼んでくれないかな」

「奴さん来たら、厄介だな」

「○○はしたい」

「○○はしたくない」

「正直めんどくさい」

「実はノリノリ」

 

 

自分が誘う側に回ったときには

 

 

「なんか最近呼びすぎてるけど、うざがられないかな」

「もしかして、楽しくないけど義理で来てくれてる?」

「呼ばないと怒られるかな」

 

 

考えすぎ?

そら、考えもしますわ。

みんな本音を言ってくれないから・・・

 

 

そんな探り合いを

言葉の端々の調べに乗せて、

スタンド同士の殴り合いかのように

見えないところで行っているんでしょう。

 

 

いかにも、私は行っております。

私もそんなめんどくさいやり取りを経て

疲れ切っては、予定を立てています。

 

 

どうにかならんもんですかなぁ、ということで

今日のゆるふわノー検証コラムは「本音と建て前」についてです。

 

 

本音と建て前

日本人の本音観

みなさんは、本音を言えているでしょうか。

言えていない人が多いでしょう。

 

 

本音を言える相手、それが気の置けない仲と言うものでしょう。

本音を言える相手と言うものは、一緒にいて疲れないものです。

 

 

では、どんな人にも本音を言えたら

それはそれは、疲れないストレスフリーな世の中に生まれ変わるのではないでしょうか。

 

 

そう思っていながらも、本音を言えないのが日本人なのです。

 

 

そんなことを言ったら申し訳ないからだとか

角が立つだとか

 

 

しゃらくさくないですか

 

 

隠された方が疲れますわ

正直に言ってくれた方がいい。

 

 

そう思っている人は多いはずなのに

どうして本音は語られないのか。

 

 

日本式折衷法

仕方がありません。

本音は、日本人に残された最後のフロンティアなのですから

 

 

日本人は、ディスカッションの教育を受けません。

対人とのコミュニケーションにおいて、

意見を戦わせるという経験が、あまりにも少ない。

 

 

自分の意見を通すために、自分が思っていることを正直にぶつけて

意見を戦わせあい、そこから折衷案を導き出すという経験があまりにも少ない。

 

 

日本人は、折衷が苦手なのでしょう。

 

 

そこで、日本人の折衷は次の2択にしぼられます

 

 

①相手の本音を引き出して、こちらの本音とすり合わせて折衷案を作成する

②自分の本音をつかませて、相手に折衷案を作成させる

 

 

意見を戦わせるのが苦手な日本人は

折衷を自分か相手に任せることによって

精神的な苦痛を和らげるのです。

 

 

妥協というモヤは晴れない

さて、この折衷法を使っていると確かに精神的な苦痛は和らぐでしょう

相手との積極的な折衝がないわけですから

希望を聞きだした、もしくは述べた後、

相手の提示してきた案に、基本的にはモロノリすればいいだけなのです。

 

 

その提示される案に対し、文句を言う人は裏で

「じゃあ、もっとはっきり意見を言えよ」

とののしられるわけです。

 

 

しかし、誰もその案に心からの賛意を表明しているわけではなく

誰しもが妥協と言う名の心のモヤが晴れぬまま

イベント当日を迎えることになるのです。

 

 

その妥協を極力少なくするための切り札が

これまた本音ということになってくるわけですね

 

 

本音は切り札

日本式折衷法においては、本音は絶大なる力を発揮します。

誰かが「○○をしたい!」と表明すれば

そこに合わせてすり合わせが行われていくのです。

 

 

しかし、本音は切り札

出すタイミングを誤ると、自分の意見は濁流の中に飲み込まれていってしまいます。

 

 

そこで、日本人は本音の探り合いと言う術を身に着けたのです。

 

 

いかに早いうちに相手の本音を引き出して、

それにかぶせる形で自身の本音を通すか。

 

 

表情、声のトーン、発する中身

これらから、本音を匂わせつつも

最後の最後まで、切り札は隠す。

 

 

そして、折衷者に全てを委ねるのです。

 

 

折衷者の苦難

そこまでして自分の意見を通したければ、

折衷者に回ればいいのではないだろうか。

 

 

そう思われる方も多かろう思いますが

この指摘が誤っていることくらい、

日本での生活が長い人間はわかるはずです。

 

 

確かに、自分の意見を出来るだけ反映させたい人間は

折衷者に回れば恩恵を被れることも多くなります。

 

 

そして、それを積極的に嫌味なく行える人物と言うのは

気持ちよく恩恵を享受しているし、実際それが正しい姿です。

 

 

しかし、悲しいことにこの折衷者の役目は

現代日本においては、精神力の強いものという

特殊能力を身に着けた人間にしかできないのです。

 

 

根気強く相手の意見を聞き取り、意思を決定し

プランを考え、参加者に周知する。

非常に手間がかかるだけならともかく

中には、折衷してもらったのにもかかわらず

その案に対して、不満を匂わせる輩も存在する。

 

 

それに対する、周りの反応も冷ややかだ。

「せっかくやってもらったのに」と思いつつも、

「まあこれだけの人間が揃ったのだ。不満も出よう」

と思っている人間も少なくはないだろう。

 

 

そんな折衷者へのねぎらいとして

会費のピンハネを黙認する向きが日本には支配的であろう。

 

 

それだけ、精神的圧力が大きな仕事だということに

日本人は気付いているのだ。

 

 

本音の一般的な使われ方

本音は、次の2パターンの使い方が最も有効だ。

 

①最初に本音を明らかにして、イベントの主導権を握る。

②本音を終盤に明らかにして、イベントの方向性の主導権を握る。

 

 

しかし、①は折衷者になる危険性が伴う。

日本の多くの地域では、言いだしっぺ折衷者方式を取り入れている。

 

 

最初に意見を表明することは、イベントの多くの決定に携わることが出来るが

折衷者にさせられ、いらぬ心労を背負わせられる危険性が非常に高い。

 

 

だから、日本人は②の戦法を取る人間があまりにも多い。

 

 

本音は出来るだけ隠しつつ、

議論・折衷の合間で、忍び込める場所に

自分の本音を挟んでいく。

 

 

そして、イベントの大枠への決定には噛めないが

イベントの方向性を自分好みにアレンジしていこうという

アレンジャーの精神性があまりにも強い。

 

 

上記のフローを踏んで、日本人は相手に本音を悟られないように

主導権を握ろうとするのだ。

 

 

もう少し楽にしたい

本音と建て前って疲れますね。

こうやって考えると、本音と本音をぶつけ合って

まあ、多少は妥協の部分は大きくなる可能性もありますが

全力で決めた予定に向かって何かをする方が納得もするんじゃないでしょうかね。

 

 

波風を立てないようにという「建前」のもと

自分好みのイベントにするためという「本音」の導きに沿って行動する。

 

 

それが、日本の本音と建前の病理なんじゃありませんかねぇー

知りませんけど

 

 

ってな感じで。