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じゃんけんは先手必勝 後出しではなく、先に出せ!

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こんにちは、若年性おっさんコラムニストのレディ夫です。

 

 

じゃんけん

人類が決めた、一番簡単な形の決闘。

 

 

グーチョキパーの三すくみ

グーはチョキよりも強いがパーには劣る

チョキはパーよりも強いがグーには劣る

パーはグーよりも強いがチョキには劣る

 

 

どんな人間にも適材適所と言うものがあり

誰よりも強い人間と言うものは存在せず、

誰かは誰かよりも強く、誰かは誰かよりも弱い。

 

 

子どもの頃に、そんな現実を教えてくれたのも

じゃんけんでしたよね。

 

 

懐かしいものです。

 

 

子どもの頃、本気で勝ちに行ったじゃんけん。

勝ちを焦るがために、後出しじゃんけんと言う卑怯な手に打って出る。

 

 

どんな大人も一度は経験したことがあるそんな子供の頃のある日の情景。

 

 

しかし、気付いたはずです。

いつしか。

勝負の世界は、全て先手必勝なのだと。

 

 

じゃんけんですらも

例外ではないのだと。

 

 

 

 

先出しじゃんけんのススメ

じゃんけんだけは、後手必勝

勝負事は、先手必勝。

先に、効果的な手を打てば

相手は身動きを取りにくくなる。

 

 

先手の方が、後手よりも圧倒的に有利であり

人は先手を取りたがる。

 

 

それが、勝負の世界だ。

いかに先手を取るのか。

それが大事になってくるのではないか。

 

 

しかし、じゃんけんはそうではない。

後に出したものが勝つ。

これは揺るぎがない事実だ。

 

 

なぜなら、勝てる目を出すために

先に出されたものを観察し

それに対応する札を出す。

 

 

サザエさんが出したカードが何かさえわかれば

私たちは容易にサザエを地獄のどん底に蹴落とすことも

造作もないことなのだ。

 

 

そう思って、子どもたちはこぞって後に出す。

勝利を手にするため。

プリンを手にするため。

ゼリーを手にするため。

牛乳を手にするため。

 

 

しかし、勝負の世界は変遷する。

じゃんけんですらも、先手必勝になりうる。

 

 

どうして、じゃんけんは先手必勝たり得るのか

じゃんけんは、後に出せば必ず勝てる。

そんな競技にもかかわらず、先手必勝とはどういうことなのか。

じゃんけんは、本当に先手必勝たり得るのか。

 

 

これについては、間違いなくイエスと言える。

 

 

そう、子どもの世界のじゃんけんは純粋に勝ちを追い求める。

いわばスポーツだ。

ギャンブルだ。

意地とプライドの勝負だ。

 

 

しかし、大人にとってのじゃんけんは決してそうではない。

大人がじゃんけんを持ちかける場面を想像してみてほしい。

「積極的な取り合い」という場面でじゃんけんが用いられる場面は多いだろうか。

 

 

決してそうではないはずだ。

 

 

大人にとってのじゃんけんは、妥協の最終手段なのだ。

 

 

大人にとってのじゃんけん

大人はどういう時にじゃんけんをするのか。

 

 

例えば、店選びの時

「何食べたい?」

「んー何でもいいかなー」

「それじゃあ、一人ずつ候補を決めて、じゃんけんで勝ったやつのところにしよう」

 

 

例えば、飲み会のから揚げの最後の1個の取り合い

「あーから揚げ残っちゃったね」

「誰食べる?」

「・・・・・・・」

「じゃあ、じゃんけんで決めよう」

 

 

そう、じゃんけんは勝負ではなく

最終決定手段であり、

自らでは決定できない事柄を

運否天賦に任せて、決定させようという行為なのである。

 

 

じゃんけんの勝ち負け

大人にとって大事になってくるもう一つのじゃんけん要素が

勝ちと負けの決定である。

 

 

言葉上のやり取りでしかないが、

大人はこれに嫌にこだわる。

 

 

誰かに何かをやらせることを決めるじゃんけんにおいて

「待って、これ勝った方か負けた方かちゃんと決めておかないとまたもめるよ」

「じゃあ、負けた方がやることにしよう」

「負けた方ってww やりたくねえのかよwww」

 

 

どうでもいいよクソが

 

 

大人はなぜか、

勝った方がやるのか

負けた方がやるのか

という符号を決めることに、変な意味を持たせようとする。

 

良いことなのか悪いことなのか。

その決定すらもじゃんけんのせいにしようとする。

 

 

それだけ、じゃんけんと言う行為が後ろ向きな決定行動であり

妥協の産物だという共通認識がなされていることなのではないだろうか。

 

じゃんけん先手必勝論

ここまで読めばわかってくれただろう。

じゃんけんとは、日本人の本音を言えない性格が起因している。

 

 

昨日の記事は、この記事の前哨戦だと思ってください。

 

hasseku.hatenablog.com

出来ることならやりたいこと

自分がやりたいと名乗りを上げれば

他の人もやりたかっただろうし、角が立つ。

 

 

出来ることならやりたくないこと

自分はやらないと言ったら、それはそれで角は立つし

やるといったら、それはそれでなんか面倒だし、かっこつけてるみたいだし。

 

 

でもまあ、やることになろうとなかろうと

正直どっちでもいい。

 

 

そういう雰囲気が、場内に蔓延した時に

じゃんけんの裁定はおとずれるのです。

 

 

やることになろうとなかろうとどっちでもいいんです。

自分としては。

ただ、その決定権から逃れたい。

 

 

その一心で、人はじゃんけんという城塞に逃げ込むのです。

 

 

このじゃんけんは、平等に勝ち負けを下します。

あなたは、やることになるかもしれないし

やらないことになるかもしれない。

 

 

しかし、

しかしですよ。

このじゃんけん、唯一勝利条件があるのです。

 

 

他人は負けることを余儀なくされる方法があるのです。

 

 

それは、先出しじゃんけんをすることです。

決定権を放棄するためだけに行われるじゃんけん。

そこで、他人に決定権を委ねる方法。

 

 

それが、先出しじゃんけんなのです。

 

 

あなたは、私に勝つ決定をするの?

それとも、負ける選択肢をとるの?

さあ、どっちなの?

 

 

と、したり顔でパーを出しながら攻撃できるのです。

もちろん、相手はこの時点で負けるのです。

自分の意志を介在させなければならない。

思わぬ伏兵にやられることになるのです。

 

 

大人のじゃんけん

大人は、どうでもいいことにじゃんけんを使います。

そして、どうでもいいと思っていることだから

勝とうが負けようがどうでもいいのです。

 

 

ただ、自分の意志だけは知られたくない。

本音を嗅ぎ付けられないためにも、じゃんけんでごまかす。

 

 

そういった人間の鼻を明かすのが先出しじゃんけんです。

 

 

このほかに、あいこ戦法があります。

あなたはずっと同じパーを出していればいい。

パーしか出さないあなたに、相手は勝つか負けるかを考えなければならない。

 

 

先に、動いた方が負けです。

自分の意志を表明しなければいけないのだから。

 

 

そして、このあいこ戦法のいいところは、

相手は自分が嫌なことをする方に回りがちだということです。

 

 

自分の意志を隠すために、あえて身を切る。

あなたの完全勝利ではないですか。

 

 

まあ、何も考えずにじゃんけんしてください

じゃんけんは単純な勝ち負けだけのゲームではない

非常に深いゲームに大人は昇華させがちです。

 

 

ここまで書きましたが

何も考えずにじゃんけんしてください。

だって意味わかんないですもんねぇ?

 

 

 

ってな感じで