発想セクション

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ここ5年で一番不謹慎だった3月11日は間違いなく5年前だった

東日本大震災から5年。

いつのまにやらかなりの時間が過ぎていたのだなぁと実感する。

 

当時、私は大学1年生。

大学も休みの時期に入っていた。

 

何もすることのない悲しい大学1年生は

友達がいるであろう大学に来て、だらだらと過ごしていた。

 

大学のラウンジのようなところでだべっていたら急に揺れた。

最初は、そんなに気にも留めなかったが

大きいうえに長い地震だった。

 

流石に怖くなって、心を引き締めた…という風には大学生はならない。

たまに来る非日常に、私も周りもわくわくしているようだった。

 

しばらくすると、建物の中から退避するよう放送で命じられた。

学生たちは、荷物をまとめていそいそと建物の中から避難して

隣の大きな公園で待機することになった。

 

そこで帰ることもできたであろうに

公園でみんな固まって、もと居た建物を眺めていた。

 

騒いだり、だべったり、遊んだり、様々だった。

私たちは、女子に人ごみを走らせて、疲れたところを観察する不思議な遊びをしていた覚えがある。

 

そんな遊びにも飽きたころ、帰宅命令が出た。

そのころになると、誰もが東京の交通機関が麻痺していることを知っていた。

 

適当に遊んで、公共交通機関が復活するのを待つもの

歩いて帰ると言い出すもの

家族に迎えに来てもらうように言うもの

様々だった。

 

私たちは、これを機にと友人の家に押しかけ一晩中遊ぶ口実にしたわけだ。

 

この日は、本当に楽しかった。

 

今でも思い出す。

 

非日常は、人を、楽しませるのだ。

 

友人宅に着き、我を忘れて遊んで、ふと気が付くと夜も遅くなっていた。

ふと携帯を見ると、1通のメールが届いていた。

 

「無事ですか?」

 

そこで初めて、テレビのニュースを見た。

家族からのメールだったならば確認しなかったであろうけれど、

メールが地元の友人からだったから事態を重く見た我々はようやく現実世界に戻ることにした。

 

今の今までつながりを断っていた現実世界が

こんな大事になっているとは一時も考えなかった。

 

何となく、自分たちのこれまでの行いが愚かだなと思えてきて

そこから自然とトーンダウンしていった。

それは、5年前のあの日を経験した誰もがそうなんじゃなかろうかと思う。

 

不謹慎

その日から、少し意識が変わった気がする。

地震に限らず、何かが起こると即座にニュースやネットでその全容を把握しようとするようになった。

 

どんな些細なことでも、どこかから報告があってどこかから確認を取るようになった。

 

節電に代表されるように、我々も少しずつ何かを慎むようになった来たと思う。

 

その意識が強く出すぎた人たちが、不謹慎だと人を責めている。

 

しかし、5年前に比べて人は良く慎むようになった。

それが何に対してかはわからないけれど、あの地震を境によく考えるようになった。

 

だから、見せかけの不謹慎をなじる必要はないのではないかと思う。

今は、少しずつみんなができる形で謹慎しているのだから。

一番慎むべき日5年前の今日が一番不謹慎だった人たちが

少しずつではあるけれど、慎んでいる気がするのだから。

 

そして、謹慎してたら言いたいことも言えないし

言わなければいけないことも言えなくなるのではないでしょうか。

そんな反動からか、今は何か強い力を欲している雰囲気もあるように感じます。

 

そうやって暴力的な世界になるよりは、少しずつ謹慎を解きつつ

無意味な不謹慎をやめて、実のある謹慎をした方がいいんじゃないでしょうか。

防災意識とかを高めるのが謹慎みたいなものでしょう。

 

という風に、5年経った今、考えてみるのでした。

 

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日割り成績

3月10日

食費:179円

使用総額:179円

 

繰越金:1,793円

繰越金総額:2,591円