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子どものお祭り・七夕をシックに決める「大人七夕」のススメ

七夕は、子どものお祭りです。

 

 

笹の葉さらさら。

パンダの餌をもぎ取ってきて、

そこに他愛のない願いを結わえる。

 

 

果ては学者か政治家か。

そんなことを言われた子どもたちは、

大人の願いはなんのその

この世に存在しないもの・無生物になりたがる。

 

 

実にかわいらしいではないですか。

子どもというのは、そうやって元気に育っていけばよいのです。

 

 

しかし、大人たちよ。

我々は、そんなにのんきに七夕を楽しんでいるべきではない。

 

 

大人には大人の七夕の楽しみ方があるのだ。

 

大人には大人の「大人七夕」

「大人」がもてはやされる時代

かつて、大人は毛ほどの価値もなかった。

 

 

精神的な問題を排除し、20歳以上を大人と考えるのであれば

世に生を受けるほとんどの人間が大人である。

 

それにもかかわらず、

大人にはなりたくないだの、大人は汚いだの

世の中は、大人であることを拒否し続けてきた。

 

 

しかし、潮目は変わった。

 

 

かつて、20歳を過ぎると剥奪されてきた「人間の称号」を

今、人間は再び獲得しつつある。

 

 

大人の空間だとか、大人が楽しいbarだとか

少し前には、大人AKBなどというものがあった。

 

 

人類は、大人を認めつつある。

 

 

子どもであり続けるよりも、

大人の視点から、子どものように楽しむ

 

 

こういったことが求められるようになってきたのが最近ではないだろうか。

 

大人七夕

日本には子どものための祭りというものが多く存在する。

ひな祭り、七五三、こどもの日、ミニモニ

 

 

七夕もその中のひとつだ。

 

 

これまでは、大人はそんなイベントを子どものためと

滅私の精神で祭っていた。

 

 

しかし、時代は変わった。

 

 

子どもだけではなく、

大人も楽しめるイベントとしていかなければならないのだと私は思う。

 

 

七夕の大人の楽しみ方とは何か。

 

 

手の届く願い事をする

 

いまだに、夢幻を書いて喜んでいる輩も多いが

大人七夕はそうじゃない。

 

 

もう今にでも叶うような願い事をするのだ。

 

 

「明日映画を観にいく」

「ちょっとおいしいご飯を食べる」

「飲み会をする」

 

 

こういった、些細だけれどもきっかけがないとしないことを願うのだ。

 

 

そうすると、どうだろう。

大人はきっかけを求めているもの。

 

 

七夕を原動力として、

ちょっと引っ込み思案なあなたは遊べばいい。

 

大人七夕の心構え

大人は、言い訳をするもの。

明日は、会社だから。

今日も疲れたし。

まあ、また今度やればいい。

 

 

その言い訳を七夕につぶしてもらえばいい。

 

 

つぶしてもらうにあたって、心構えはしっかりしておいてほしい。

 

 

①織姫と彦星の面子を潰してはいけないと思うこと。

②子どもの夢を潰してはいけないと思うこと。

③そして、自分の責任ではなく七夕がやらせていると思うこと。

 

 

我々大人は、願い事をするのであれば織姫と彦星の面子を潰してはいけない。

あなたたちは、散々疲れてきたはずだ。

 

 

サンタはいないのだ。

流れ星なんて発見すらできない。

賽銭の額なんて神様は見やしない。

 

 

それは、我々が運否天賦に任せてきたからだろう。

 

 

私たちは、織姫と彦星にかこつけるのだ

かこつけるのであれば、彼らに花も持たせねばなるまい。

 

 

そして、願いが叶った暁には

子どもたちに大いに話して聞かせてやりなさい。

やつらは見ている。

ミルキーロードの上から、我々を見ていると。

 

 

何せ、大人の願いをかなえたのだから。

 

 

そんなばかげた心構えも、

すべては七夕がさせたこと。

 

 

大人は人のせいにするもの。

人のせいにして、言い訳して

何か新しいことをはじめればいい

 

 

 

ってな感じで。