発想セクション

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一反木綿はチャラい

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妖怪

所変われば品が変わるんだなぁ

みつをとつけたいところですが、

いやまあ、そんな節操なしなこたぁ出来ないなと思いはします

 

こんな根暗なブログを書いている私は

かねてよりバカだの間抜けだのうすのろだの言われてきたわけだけれども

今は何故か「チャラい」と評されるようになって戸惑いを隠せません

 

チャラいとは、チャラチャラしているの短縮形で薄くて軽いことをいう。

まあ、ノートパソコンであったら喜ばれるのですが

人間が薄くて軽いと、妖怪みたいなものですね

一反木綿なんかはチャラい人の比喩なんじゃないかなと思い悩む日々ですよ

 

そもそも一反木綿だけは、いつも見るたびにこいつは妖怪なのか?と子供のころから思っておりました。

確かに人語は解しておりますが、それを除けばただの布

布が細くたなびきたるってだけで、

そんなん台風の時期だったならば、布団も吹っ飛ぶこの世の中ですから

なんら珍しくもなんともない光景であるかと思うのですが

 

だから、一反木綿は軽薄で浮ついた人間を表しているのであって

そんな人間になってはいけないという寓話として生まれた存在なのでしょうと思い至ったところで

チャラいとは一体なんぞやと思うようになりました。

 

チャラいは存在しない

私は、これまで人から明確な「チャラい」を聞いたことがない気がしますね。


あいつはチャラいだの

あいつはチャラそうに見えてチャラくないだの

あいつはチャラくなさそうに見せてるけどその実チャラいとか

私にとっては全員チャラく見えます


皆が皆、ある程度のチャラい観を持ってると自覚して

日々何事もなかったように歩んでおりますが

そのチャラい観は本当に確立されたものなのでしょうか。


チャラいのイメージは東海道か!ってくらい日本の中枢を走っているようにも思いますが

チャラいはどちらかというと、各人よりも各グループ毎に擦り合わせで形成されているようにも思います。


発言力、説得力のある人の「チャラい」の鶴の一声がその人をチャラい人とする


チャラいだけではなく、人のイメージというものは

そのようにして理不尽に形成されていくようにも思うのです。


それが、ペルソナとか言うものなんじゃないですか。

自分で被ってると思い込んでる仮面は、

被らされている場合の方が多いかもしれません。


またよくわからないところに着地しました。