発想セクション

若年性おっさんコラムニスト・レディ夫のゆるふわコラムが読めるのは発想セクションだけ!!

拝啓 サイボーグ時代の方々へ

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手紙

最近、とんと手紙などというものを見かけなくなりました。

年賀状もついには、洋服の青山などからしか届かなくなったものです。

 

いまさら手書きでせいぜい1KBそこらの文章を日本郵便に届けさせるのも気が引けるという話で

こんなことをするために民営化したんじゃないという小泉チルドレンたちの声が聞こえてくるようでもあるわけだけども。

 

そうなってくると、全く何が何だか分からなくなってくる文化というものもあるわけです。

 

追伸

先日古い映画を観ていると、ご丁寧に手書きで手紙をしたためている輩がいました。

全て書き終えた後、何か思い出したかのように

「追伸」

と記して、そこそこ大事なことを書いていた。

 

そこで私は初めて、追伸の意味を感じ取りましたね。

追伸とは、手紙を書き終えたはいいが、書き損じがあったがために付け加えるための便利な言葉なのだと。

 

私はそれまで、「追伸:」と書かれるとそのあとにはどうでもいいことを書く決まりでもあるものだと思っておりました。

 

私が、物語の中で見たことのある「追伸:」はどれもこれも

「お母さんは元気です」だの

「みかん入れておきました」だの

何ともまあ、それはそこまでして書く必要のあることなのかというものが多かったもので

手紙の最後には「PS:」やら「追伸:」をつけて

リズムを整えるであったりするような意味があるのかと思っておりましたが

今、冷静になって考えるとそれはなんともおかしな話だなぁと反省はしております。

 

でも、私は私の世代にはそんな風に思っている人も少なくないと信じております。

 

追伸を取り巻く3世代は


1.追伸を普通に利用していた世代


2.追伸を普通に利用するようになると信じていた幼少時代、父母の手から生み出される追伸に大人の匂いを感じながら成長を重ねていったはいいが、目の前に現れたのはメールであり、父母の手ほどきを受ける前に電子化された手紙に意味もなく見よう見まねで追伸とつけていた世代


3.追伸を知らない世代

 

私は普通にデジタル化の過渡期に青春時代を歩んでおりましたので

それはまあ第2世代ど真ん中の人間でした。

第1世代が人間で、第3世代がロボットだとしたら、

我々はいわばサイボーグ世代と言えるでしょう。

 

人にもロボットにもなれなかった我々は、

追伸の2文字を見て、涙を流すのです。

 

我々はそんな中途半端な勘違いを山ほどしている世代なのかもしれないのです。

だから、サイボーグはサイボーグとして立ち上がって戦いましょう!

 

あ、お体というか頭の方に気を付けてやってくださいね。

 

敬具

 

 

追伸:ターミネーターは2が好きです。