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地震が伝える「繋がる」ことの利便性と危険性

2016年4月14日9時半ごろ

この記事を書く少し前に熊本地方で大きな地震があった。

 

震度7地震だ。

震度7は日本人にとっては特別な数字だ。

 

6強と7では大きな違いがある。

それは、震度7が青天井だということだ。

7より大きな数字がないため、震度7の正確な大きさはわからない。

 

最大震度ということもあり、日本人は震度7ともなると大騒ぎする。

テレビ、ラジオ、そしてツイッターなど

全てが地震の話題になる。

 

これは良いことでもあり、悪いことでもあるように感じる。

 

地震は怖い

地震は日本をつなげる

地震が起こると、日本は一つになる。

どの情報メディアを覗いても、自身の情報一色になる。

 

これは、非常に大切なことだと思う。

 

いわば一つの社会をぶち壊せるほどのパワーを持っている震度7地震

その情報をどんなメディアを開いていても、知ることが出来る。

 

これは、対策や安否確認のためには欠かせない。

地震の情報で日本を一つにすることはそういった意味で大事なことだ

 

ふと、テレビも電話もなかった昔のことを考えると、

遠方で起こった地震を、もしかしたら知らぬままに日々を過ごしてしまう可能性が大きく存在する。

これは、悲劇だ。

 

だから日本はつながる必要があった。

 

繋がることの危険性

少し昔は、つながるツールといったらテレビしかなった

それが今や、個人と個人がつながることもできる。

 

そうなってくると話は変わってくる。

 

昔は、何か大きな出来事があると

テレビの番組が全て一緒になってぶーぶー言ってる子供だった。

 

ツイッターはそんなことないのかと言うと、

がっつりそんなメディアの特徴を受け継いでいる。

 

ツイッターもなんかほかのことつぶやいてる奴はいないのかと思うくらい一色になる。

テレビからツイッターに移ろうと、人間は相変わず過剰に同じ情報を流し続けるのだ。

 

そうなってくると、心配になってくるのが

リアルタイムの衝撃的な情報に精神的圧迫感を感じてしまうのではないかということだ。

 

昔は、地震が起こってから2,3日経たないと情報を知りえない時代もあったわけで

それはそれで、情報を得るという段になって非常に不便であろうけれども

今は逆にどこにいても情報が入ってくる社会。

 

これは人の心を不安にさせたり、不謹慎という言葉が出回ったりする原因にもなろう

それはそれで危険なのかなとも思うのでした。

 

テレビだけじゃなくて、ツイッターも一色になったところを見て思いました。

 

 

ってな感じで。