発想セクション

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「高学歴は仕事が出来ない」の正体は一問一答脳だ!

昔からよく聞く言葉に

「高学歴は仕事が出来ない」みたいなものがありますよね

 

 

勉強ばっか出来たって、仕事が出来ねぇんじゃ仕方ねえ

こーんな言葉が行ったり来たり。

 

 

仕事のできる出来ないなんて個人の問題であって

学歴は関係ないと思うのですが、

言葉が流通しているということは一定の共感を得ているということ。

 

 

どうしてそんなことを言われるようになってしまったのか

原因を探っていきたい

 

 

学歴闘争

原因は学歴差別

原因は学歴差別と言ってしまえば、非常に簡単だけれども

学歴差別は大きく分けて2つある。

 

 

1.低学歴差別

一般的な学歴差別

学歴が低いことで受ける差別。

 

2.高学歴差別

忘れ去られがちな学歴差別

学歴が高いことで受ける差別。

 

 

忘れがちだが、低いことで受ける差別がある一方

高いことで受ける差別もある。

 

 

学歴差別とは

学歴差別とは言ってしまえば、「期待」と「嫉妬」から端を発している。

 

 

高学歴だから、仕事が非常にできるのであろうという期待は、

その若者を精神的に追い詰める。

 

 

期待をかけるということは、始まりの基準が高いということだ。

期待以上の結果を残せない若者たちは、評価を落とすしかないのだ。

 

 

また、「期待」は「嫉妬」を生む。

この二つは、相関関係にある。

 

 

期待をかけられている人間がいる一方で、

期待をかけられていない人間も存在する。

 

 

この関係から、「嫉妬」が生まれ、

人を攻撃的にする。

 

 

これは、「高学歴差別」といっても差し支えないのではなかろうか。

 

もう一つの原因は「一問一答脳」

外部要因ばかり挙げていては、人のせいにしているようなもの。

原因はそれだけではないはず。

 

 

これだけ言われているのだから、

日本の高学歴に共通している特徴というものがあるに違いない。

 

 

私が、考えたその理由は

「一問一答脳」だ。

 

 

日本の高学歴に求められているのは、「一問一答に強い」ことではないだろうか。

 

 

センター試験TOEIC、大学本受験。

これらを見渡してみても、理解していることよりも言葉を知っていることに注力しているように思える。

 

 

全体を理解していなくとも、言葉を、知識を知っていればテストには合格できる。

 

 

もちろん中身の理解が伴っている正統高学歴者も多いとは思うが

その反面、中身を理解せずとも、言葉を知っているという免罪符だけで切り抜けてきた「もぐり高学歴」も多いと感じる。

 

 

理解の伴わない・オウム返しの知識というものは

記憶力の証明でしかない。

 

 

記憶力の良いものは、知識で大人を満足させることはできた。

今の教育は、そういうものなのだ。

知っていることが偉いのだ。

 

 

記憶力の悪いものは、理解する必要があった。

言葉はわからない。けれど、なんとなく理解はできた。

そういう人間が多いのではないか。

 

 

仕事は、言葉よりも理解が大事だ。

だから、高学歴人間の方が仕事が出来ないのかもしれない。

 

 

仕事はフラットに見てあげて

多くの大人は、

「仕事と勉強は違う」

という。

 

 

勉強が出来たからって、仕事が出来ると思うなと言う。

 

 

その割に、学歴を気にする。

この学歴ならできるはずだという。

 

 

これは立派な学歴差別だ。

高学歴も低学歴もバカにしている。

 

 

高学歴だろうと低学歴だろうと仕事の世界ではフラットになるべきだ。

仕事の出来る出来ないはそう仕事に関係してくるものでもなかろう。

 

 

言ってることとやってることが違うではないか。

学歴なんて関係ないと言ってみたり

都合がいい時は、学歴のせいにする。

 

 

それでは、若者がかわいそうではないか。

 

 

教育にも切り込んでみる

最近では、東大でも推薦入試が始まったとか。

センター試験も形を変えるという話も聞いたことがある。

 

 

確かに、知識があることも非常に重要ではあるかと思うが

その知識の運用をもう少し重視すべきだと思う。

 

 

それこそ、評論を書かせてみたり

新しく何かを発明させてみたり

想像力・理解力と言う部分も試していくべきなのではないかと思う。

 

 

 

ってな感じで。