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恋愛至上主義が生んだ晩婚化

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私なんかは恋愛が大好きな口で

今なんかは彼女がいない現状を憂いているわけですが

そんな自分を恋愛至上主義者に仕立てあげたのは紛れもなく高橋留美子作品にあるわけです。

 

うる星やつららんま1/2もギャグ漫画の仮面をかぶった恋愛漫画であります。

ドタバタラブコメディーってやつですね。

高橋留美子作品ほどドタバタという言葉が似合う作品もないかとは思います。

 

昔、大学の授業で習いましたが

恋愛なんぞが出てきたのも最近になってからみたいですね。

様々な作品で語られる甘い恋模様に憧れを抱いたことがきっかけで恋愛が生まれたとかなんとか。

 

現代を普通に生きていたら、にわかには信じがたい説ではありますが噛み砕くと

今の恋愛は、愛し合ったもの同士がその愛の結果結婚に至るという感じだと思います。

愛の末に結婚、全ての恋愛は結婚に通ずるのです。

結婚の前段階としての恋愛であるわけです。

昔の結婚は、この恋愛の過程がなかったというわけではないでしょうか。

 

恋愛の末の結婚ではなく、生きるための結婚だったと。

 

 

生きるための結婚

昔の結婚はほとんどが政略結婚だったと考えています。

政略結婚と言っても、国と国との契りみたいな大それたものではなく

家族が生き延びるための手段くらいのものです。

 

現代とは違い、かつての子供は貴重な働き手でした。

両親も老い、家族の中で動けるものがだんだんと減っていくのに

結婚して子供を産むことは非常に重要な意味があったのだろうと思うわけです。

 

だから、見合い結婚が主流だったわけです。

結婚に無駄な過程をさしはさむことはそこそこ不必要な行為だったのです。

 

どんなに現代では結婚できないような人間も、かつては必ず結婚していたのでしょう。

 

現代の結婚

さて、現代に目を移すと

恋愛は権利であり、結婚も重大な選択となっています。

今や世の中には素敵な恋愛がはびこり、消費されていく。

 

恋愛は昔以上に気軽な存在になっていて、

恋愛が当たり前の世の中になっています。

 

「いつか私もあんな素敵な恋愛をするんだ」は今や、

クレープの生地のようにうすーく伸ばされて、人々の頭の中にインプットされている。

 

というのは、

「恋愛が当たり前」という考え自体が、恋愛を欲しているということが言いたいのです。

無理して結婚する必要はない、良い人がいれば結婚すればいい

これらは、確かに一人でも生きていける時代背景もありますが

ある程度許容範囲内の「素晴らしい恋愛」を経なければ結婚する意味がないということではないでしょうか。

 

晩婚化の原因は「恋愛」だ

最近は、若者の恋愛離れなんて話もよく聞く。

 

私は、彼らが恋愛から離れているとは思えない。

恋愛に対する理想が高すぎて、恋愛できないのだ。

「素敵な恋愛圧力」が若者から恋愛を遠ざけるのだ。

恋愛に近すぎて遠いのだ。

 

晩婚化も同じだ。

色々御託を並べるが、結局は「素敵な恋愛」をギリギリまで求めてしまう。

そして、子供のことなども考えたギリギリなところで結婚してしまうのが晩婚化の招待ではないかと思うわけだ。

 

仕事を頑張る女性が増えたとか、

男性が草食になったとか、

恋愛から離れたとか

そんなこと色々言われてますが、

 

結局、恋愛や結婚のことが好きすぎて結婚ができないんじゃないかと。

恋愛が結婚には重要だと考えて、色々策を弄しておりますが

結婚にとって、恋愛は障害に過ぎないのではないでしょうか。

 

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