発想セクション

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適当なことを言っている人ほど、「本音」を言っているに違いない!

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「お前はまた思ってもないことを言って!」

 

 

こんなことを言われたことある人、いるんじゃないでしょうか。

 

 

私は、こういう誹りを嫌と言うほど受けてきているのです。

 

 

「お、いいじゃないですか」

「かわいいっすね」

「かっこよすぎません」

 

 

こういうことを言うたびに、

「お前、また適当に言っているだろう」と

 

 

そういわれる度に思うのです。

私は本気で、全力100%で思っているよと。

 

 

どうして、本音が伝わらないのか。

そして、人はどんな「本音」を求めているのか。

 

 

私が感じたことを書いていきたいと思います。

 

 

本音、本音じゃない

誰が本音を言っているのか

一体誰が本音を言っているのか。

これは、人間社会を生きる上で見極めなければならない重要課題ですね。

 

 

そして、発信側も自分がどれだけ本音であるのかを伝えるというのは

コミュニケーションの上では非常に重要になってくるかと思われます。

 

何故見極めなければならないのか

本音を見極めなければならない理由。

 

①悪意あるうそつきに騙されないため

悲しいかな、周りにはうそつきがたくさんいます。

そのうそつきに、悪意あるうそつきに騙されないためにも

我々は本音を見極める必要があるのです。

 

②愛に気づいてあげるため。

人は、どうにかして本音を伝えに来ます。

しかし、人間はまずそれが悪意ある嘘であるかどうかを見極めにかかります。

疑ってしまいます。

人は、本物の愛すらも疑ってしまうものなのです。

しかし、愛のために人は本音に気づかなければなりません。

 

どうして本音を伝えなければならないのか

本音を伝えなければならない理由。

これは一つしかありませんね。

 

①愛を伝えるため。

この一点に限りますね。

 

愛というのもたくさんの形があります。

恋愛の愛、友情の愛、同僚の愛、先輩後輩の愛。

怒ることも、ほめることも、全ては愛なのです。

 

 

その親愛の情というものはなかなかどうして伝わらないもの。

我々は、どうにかしてコミュニケーションスキルを駆使して

相手に愛を伝えなければならないのです。

 

本音を見極める際に気を付けてほしいこと

さて、ここまで来て私が言いたいことはいったいなんなのかというと

 

 

「お前はまた適当なことを言って!」

と言われる人は、本音を話しているのかいないのか。

 

 

ここについて、深く考えてほしいということなのです。

 

 

人は、なんだか無気力な言説に対して

無条件に「嘘」の烙印を押しつけてきます。

 

 

だけど、私はそうは思わないのです!

 

適当なことを言う人

あなたの周りにいる、なんだか適当に話をしている人

生返事、即答、そこに考えている痕跡を感じ取れない人

そんな人の言葉が、まさか本音とは思っていないですよね。

 

 

しかし、私はそういった人たちこそ本音で話していると思うのです。

 

 

彼らは、自分の思っていることを隠せない人たちです。

質問に対して、「シンキングタイム」というめんどくさい制度を採用していない人たちです。

 

 

聞かれたら、すぐに思ったことを口にする。

それは究極の本音なのだと私は思うのです。

 

 

聞かれたことに、反射的に頭に浮かんだ言葉を打ち返す。

それが、本音だと言わずになんと呼ぶのでしょうか。

 

適当じゃない人

適当じゃない人。

彼らは良い人ですね。

聞かれたことに真摯に向き合って、しっかりと伝えようと策を弄してくれます。

 

 

しかし、それは逆に本音から遠ざかる行為なのではないでしょうか。

言葉を装飾して、化粧して、どうにか真意を伝えようとしてくれる。

 

 

だけども、いつしか本音は隠れていってしまっているのではないでしょうか。

 

 

後、質問に素朴に返答されるよりも

情感豊かに読み上げて伝えてきた方がよっぽど嘘くさいと私は思ってしまうのです。

君の本音はどこに行ってしまわれたのですかと。

 

注意すべきは適当じゃない人

そして、適当じゃない人の手法を用いてくるのが悪意あるうそつきです。

 

 

彼らは、非常に真摯に情感豊かに我々に嘘を投げかけてくるでしょう。

まさか、適当に嘘をつくはずがありません。一発でばれますからね。

 

 

悪意ある嘘つきは、適当じゃない人の皮をかぶって近づいてきます。

いわゆる良い人たちのふりをするのです。

 

適当な人の地位向上委員会

いろんな人から、適当なことばかり言ってとよく罵られる私ですが

そんな適当な人たちは決して本音を言ってない訳ではないんです。

 

 

ただ、本音に聞こえないだけでおそらく本音率は高いと思われます。

 

 

確かに、適当な人たちの「愛を伝える」姿勢に問題を感じるのは確かですが

受け取り側はただバッサリと「嘘」と切り捨てずに

彼らの不器用な愛にも気づいてあげられないでしょうか。

 

 

どうか適当な人にも愛の手を。

人知れず寂しい思いをしている適当な人がたくさんいるかもしれません。

 

 

汝適当を愛せよ。

 

 

ってな感じで。