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CDとカラオケじゃないっすかね、日本音楽のデータ偏重の原因

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ネットを見ていると見かけるCD音源ってなんなんだって思ったりしません?

音楽っていったい何が重要なんだろうって。

 

Youtubeとかを見ていると、CD音源というものはかなり重宝されている印象を受けます

違法ですけどね

 

でも、CDって完成度は高いかもしれませんが

1回の演奏をたまたま録音したに過ぎないじゃないですか

何回もあるうちの1回

 

それが、CDに録音された途端に

音楽の完成形という風に認識を改められるような気がするんですね

 

それを求める消費者を生んでしまったことが

日本の音楽がデータ偏重に進んでしまった原因のように思えてならないんですよね

 

 

CDとカラオケ辺りがデータ偏重の原因では?

どうして消費者はCD音源を求めるのか

CD音源って、いわば一つの完成形ですよね。

 

CDにして発表するということで、

録音に際して、細心の注意を払い

何度も録りなおし

場合によっては、修正を加える。

 

それは、何度も聞くに堪えるだけのクオリティを保証するということと

「今後これがこの曲の完成形になる」という消費者の認識を受けてのことだと思います。

 

多くの音楽を消費する人たちは、ライブまで足を運ぶような人ではなく

CDに録音された音源を聞くに留まる人だと思います。

 

その曲の一つの完成形が聞ければいいのです。

 

その歌手が上達したことや

その歌手のその時の気分や

その歌手のアレンジなんか求めていないのです。

 

何度聞いても、同じように感動できる

一つの完成形としての音楽がほしいのです。

 

CDというものは、消費者の耳をそのように育ててしまったのではないでしょうか。

 

カラオケも一つの原因

日本から生まれた音楽文化にカラオケというものがあります。

空のオーケストラが語源で、歌手の歌声がかかっていない音楽だけが流れているのに合わせて歌う文化です。

 

楽しいですよね、カラオケ。

歌を歌うのって心がウキウキします。

 

日本人は、カラオケが大好きなのです。

カラオケで歌うために、練習したりします。

 

これが、ダメなのです。

練習のために必要なのは、一つの完成形の音楽。

楽譜通りに歌われた音楽なのです。

 

ということは、大事になってくるのはCD音源なのではないでしょうか。

 

だから、日本人はこぞってCD音源を求めるんですよ。

 

日本の音楽

消費者は

聞き心地の良い"いつもの"音楽を求め、

練習のために"変わらない"音楽を求める。

 

プロ、素人にかかわらず、

ほめ言葉として、「CDみたい」という言葉がある。

 

CD崇拝がここから感じられるし、

このほめ言葉はいかがなものかと思う。

 

毎回同じように歌っているということではないでしょうか。

そんなの褒めていることになるんですか。

 

そんなCD至上主義の考え方が、

日本の音楽がデータ偏重に進んでいった原因だと思うわけで。

 

ライブじゃなくて、CDでいいやが進行して

Youtubeで全部聴けるし」になっている。

 

これはまあ、当然の帰結かなぁと。

ライブよりCDを優先してしまったがばっかりに

CDの中のデータというもの単体でやり取りができる世の中になってしまった今

もう、音楽の稼ぎ方はデータ偏重と末永くお付き合いする道しかなくなってしまっているように思いますね。

 

まあ、データ偏重の原因として

CDより実物のほうが下手な歌手が存在してしまうのも問題なわけだとは思うのです

そういう意味で歌手を育ててこなかったのも良くなかったのかなぁと思いますね。

 

修正だとかなんだとかは、とても素晴らしい技術かもしれませんが

その技術と実物とのギャップが大きすぎると

ライブでのがっかり感というものにつながって

結局データ偏重へと導かれていくのではないですかね。

 

と、CD音源などという不思議な言葉を見て思いました。

 

 

ってな感じで。