「空気読め!」に対しての「空気なんて読むな!」、どっちが正しいかといえばどっちも正しくない
日本の独特の文化と言われている「空気を読む」という行動
場の雰囲気や場にいる人の表情・声のトーンから
場の「空気」の良し悪し、下降路線なのか上昇路線なのか
そういったものを読み取ることを「空気を読む」です。
これを、日本独自の文化として崇めて「空気を読め」だとか
それを日本独自の文化として恥じて「空気なんて読むな」
という言葉が行き交う昨今
はてさて、どっちの言葉に従えばいいのだろうかと悩んでいる子供たちも多かろうと思うのですよ。
私が言いたいのは、どっちも正しくないということです。
空気
空気を読め
空気を読めという言葉は至極まっとうなセリフだと私は思います。
空気は読むに越したことはありません。
その場が、盛り上がりの下降路線に乗ったのか上昇路線に乗ったのか
そこはつかんでおいた方がその場を乗り切るのに非常に便利だからです。
私は、表層の「空気を読め」が間違っているというのではなく
その含意である「空気を読んで動け」という発言に異議申し立てを申請したのであります。
好きな友達に会って、リフレッシュしたいとか
楽しい雰囲気の中ですごしたいとか
自分の人生において何かプラスになるから、人とのつながりを持つのだと思うのです。
その後が見込める、その後も付き合っていきたい
その後も楽しく過ごしたい人たちといるときは
大いに「空気を読んで行動」した方がいいでしょう。
その方が楽しくなると思いますし。
しかし、いやいや行くような会合で
わざわざ心をすり減らして帰ってくることはないのかと思います。
「空気は読む」けれど、それを行動に移さなけばいいのかなと思います。
常に空気を読んでいた方が、自分の行動もしやすいとは思うので
常に空気を読んでいるべきだとは思うのですが、それを常に読み通りに行動すればいいかというとそうではないと思います。
自分が嫌だと思うことはしなければいいんじゃないですか。
その結果、「空気読め!」と言われようが
「空気は読んでるけど、行動に移してねえだけだよバーカ」と思っておけばいいのです。
空気を読むな
「空気なんて読むな」というのもよくわかる話で
人は、空気なんて読み続けてたらノイローゼになるにきまっているのです。
そこのオンオフをしっかりしようという話で
ずっと空気を読まない行動をすればいいというわけではありません。
ただ、人は両極端に分かれがちなので
空気を読むけれど、使わない
空気はたまにシャットダウンするくらいのモチベーションで生きた方が断然楽だと思うんですけどね。
空気を読むのは日本だけなのか
まあ、これはしっかりと調査しなければ結果の出ないことかもしれませんが
空気を読むのは日本人だけなのかという話ですよ。
日本人としては、「空気を読まないと生きていけない」と思ってしまうのです。
外国人も、「場の雰囲気を読む」ことくらいしているはずなんです。
じゃないと、駆け引きとかそういったものが全くできないあほな集団になると思いませんか。
ただ、日本人の場合
「空気を読む」と「行動する」がセットになっていて切り離せない生物だということに問題があるのではないでしょうか。
空気を読んだら、その空気通りに色を変えなければいけないのです。
外国人は
「場の雰囲気を読む」けれど、基本的にそこと自分の行動を分けて考えることが出来るのだと思うのです。
やりたいことはやる
したくないことはしない
まあ、実験対象がないのでわからないですけど。
まあ、私としては
「空気を読め、だけどたまに無視しろ」
と言いたいのです。
日割り成績
2月27日
食費:480円
生活費:963円
使用総額:1,443円
繰越金:529円
繰越金総額:529円